◎第2ペンギン荘は元・置屋
長野県松本市の中心市街地から北東約3kmほどにある温泉街・浅間温泉。
元々、北国西街道の筋にあったことから旅の疲れを癒す場所として。
松本城の城主のための温泉があったことから湯守が住み、その後、住宅地として。
浅間温泉は温泉街=旅館街という表情とは違った雰囲気が漂っている。
◆浅間温泉には100人の芸者さんがいた。
また、浅間温泉にもかつて芸者遊びの文化が花開いており、最盛期には100人の芸者が浅間温泉にいたという。
これは徐々に衰退してきたが、それでも昭和50年代にも40人ほどの芸者さんがいた。
芸者さんは置屋と呼ばれる待機所みたいなところに出勤、または住み込み、依頼があると下駄を鳴らして旅館まで赴いたのだ。
◆置屋「分音和」
こちらは松本市浅間温泉にある”下宿を冠したシェアハウス“第2ペンギン荘の外通路。
第2ペンギン荘も昭和50年代ごろまでは置屋だった。
第2ペンギン荘はかつて”分音和(わけおとわ)“と呼ばれる置屋さんだったのである。
分音和は芸者さんたちの下宿も兼ねていて、部屋数と残った表札から見ると5~6人の芸者さんが住んでいたようであり、下宿のような側面も持っていた。
ただ、よくある学生下宿のように部屋が並ぶだけの簡素な作りではなく、やはり芸者さんが住む場所ということもあり、船底天井や京壁などで仕上げられている内装は、ちょっとグレードの高さを感じさせる。
◎第2ペンギン荘は"下宿"と言いたい。
そのことから第2ペンギン荘に住む第2ペンギンは、かつての芸者文化の香りが残るこの建物のことを「元・置屋」としてもっとアピールしたいと考えていた。
・・・と同時に、芸者さんが暮らす下宿としての側面もあったことから「下宿」とも呼びたいのである。
◎第2ペンギン荘は2020年にオープンしたシェアハウス。
だが、「置屋兼下宿の分音和」が「第2ペンギン荘」として生まれ変わったのが2020年。
かつての学生下宿がシェアハウスと名前を変えるくらい下宿よりもシェアハウスという言葉の認知度が上がっていた時代である。
第2ペンギンは下宿もシェアハウスも生活スタイルはそんなに変わらないと思っているタチなので、そしたら「下宿・第2ペンギン荘」と名乗りたいと思っていたのだが、世が世である。
“下宿”よりも”シェアハウス”という言葉の方が認知度やイメージが先んじてしまっているご時世だったのだ。
第2ペンギンは悩んだ。
悩んだ結果「長野県松本市の温泉街・浅間温泉の元・置屋。”下宿”を冠したシェアハウス”第2ペンギン荘”」なんていうとんでもなく長ったらしい方法でしか自己紹介できなくなってしまったのだ。。
第2ペンギンはどうしても、建物が置屋さんだったこと・・・。下宿というレトロな雰囲気であること・・・。でも、今風に言えばオープンした時期も含めてシェアハウスであること・・・この3つを伝えたいのである。
この3つさえ伝われば第2ペンギン荘がどんな施設であるのかなんとなくわかってもらえるんじゃないかなー・・・と第2ペンギンは思っている。
・・・が結果、「長野県松本市の温泉街・浅間温泉の元・置屋。”下宿”を冠したシェアハウス”第2ペンギン荘”」だ。
冗長すぎる。
第2ペンギンは悩んでいる。
でも、少ない脳みそで現在考えられる名称は上記のとおりである。
浅間温泉も、元・置屋兼下宿の第2ペンギン荘も歴史がある。
歴史があればその土地や建物の記憶も膨大になってくる。
第2ペンギンはウンウンいつも悩んでいる。
そして、時折開き直って、
「膨大な記憶や歴史を一つの言葉で表すのはそもそも無理な話なんだ!」
とプンスカプンスカ起こりながら浅間温泉の通りを歩いていたりする。
もういいや。しばらく何か短く伝えられるキャッチ―な言葉を思いつくまでは「長野県松本市の温泉街・浅間温泉の元・置屋。”下宿”を冠したシェアハウス”第2ペンギン荘”」で行こう・・・。
そう思う第2ペンギンであった。